庄地協の活動や行事、地域の情報を記載しています
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ちょっと怖いタイトルになりましたが
今日は「首切り地蔵」のお話です
ご存じですか?「首切り地蔵」のお話を・・・
その前に、「まんが日本昔ばなし」はご存じでしょうか?
昭和50年代初めに放送が開始され、平成6年まで続いた長寿番組です
子供がいる家庭では、土曜の夜はほぼこの番組を見ていたのでは?
と思える、大人気の番組でした
その「まんが日本昔ばなし」で、庄を舞台にした話が放送されてます
記録では・・・、1980年9月13日、第406回の放送のようです
そのタイトルが『首切り地蔵』なんです
あらすじは・・・
昔、岡山県都窪郡庄村に、冬でも汗をかく不思議なお地蔵さまがいた
ある年、備中一帯はひどい日照りに見舞われ、
田畑もすっかり干上がってしまい、食べるものも困るありさまだった
そんな時、信心深いお婆さんが汗かき地蔵さまの声を聞いた
「わしの体を2ヵ所削って、井戸とため池に入れてくれ」
お婆さんは躊躇したが、お地蔵さんの足元から小さいカケラを
削り取り、干からびた井戸とため池に入れた
すると中から大量の水があふれ出て、枯れた田にも
水を引く事ができ、日照りから村は救われた
次の年の春、撫川の戸川肥後守安宣という殿様が
汗をかくお地蔵さまの噂を聞いた
その不思議なお地蔵さまを使って、勝手に水があふれ出る
「手洗い鉢」を作ろうと思いついた
村人の必死の抵抗むなしく、お地蔵さまは殿様の家来たちに
強奪され、首を切り落とし体をくりぬかれた
ご満悦の殿様は、この手洗い鉢を諸国の大名たちに
見せびらかそうと、千石船に乗せて江戸へ出発した
しかし殿様の乗った船は、玉島の港を出発し
遠州灘に差し掛かった辺りで、大波にのまれて沈んでしまった
首だけ残ったお地蔵さまは「首切り地蔵」と呼ばれ
後に殿様の子孫がお詫びのために設置した
「ことわり地蔵(身代わり地蔵)」とともに
ひっそりと村の暮らしを見守っている
※下記から引用しています
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=406
戸川肥後守安宣は実在するお殿様で、備中庭瀬藩の第3代藩主のようです
1674年に27歳の若さで死去、わずか6年間のお殿様ですが
六間川の開削工事をはじめとする農政に手腕を見せたそうです
さて、そのお地蔵さんはどこに?
事実かどうかは分かりませんが、ネット上ではここに限定されてるようです
わかります?庄パークの西の入口、T字路信号の角です
ちょっと様子を見て来たんですが・・・
夏草が生い茂り、ぱっと見ただけじゃぁわかりません
草をかき分けて少し進むと・・・
お地蔵さん、いらっしゃいました
軽装で行きましたから、これ以上は進めません
が、確かにお地蔵さんです
お地蔵さんのお顔は、風化してしまったのかはっきりわかりません
そして、明らかに顔と胴体のバランスが悪いです
もし、物語のように首だけ残されたのなら・・・
おそらく胴体は後付けされたもの、納得がいきます
その隣には・・・
こんなものも建ってました
これも奥まで入れないので、詳細は不明です
また今度、夏草が枯れた頃にでも行ってみましょうかね
「まんが日本昔ばなし」、岡山県内の話も少ない中
ここ庄を舞台にした話があっただなんて・・・
ちょっと自慢なので、記事にしてみました
(END)
今日は「首切り地蔵」のお話です
ご存じですか?「首切り地蔵」のお話を・・・
その前に、「まんが日本昔ばなし」はご存じでしょうか?
昭和50年代初めに放送が開始され、平成6年まで続いた長寿番組です
子供がいる家庭では、土曜の夜はほぼこの番組を見ていたのでは?
と思える、大人気の番組でした
その「まんが日本昔ばなし」で、庄を舞台にした話が放送されてます
記録では・・・、1980年9月13日、第406回の放送のようです
そのタイトルが『首切り地蔵』なんです
あらすじは・・・
昔、岡山県都窪郡庄村に、冬でも汗をかく不思議なお地蔵さまがいた
ある年、備中一帯はひどい日照りに見舞われ、
田畑もすっかり干上がってしまい、食べるものも困るありさまだった
そんな時、信心深いお婆さんが汗かき地蔵さまの声を聞いた
「わしの体を2ヵ所削って、井戸とため池に入れてくれ」
お婆さんは躊躇したが、お地蔵さんの足元から小さいカケラを
削り取り、干からびた井戸とため池に入れた
すると中から大量の水があふれ出て、枯れた田にも
水を引く事ができ、日照りから村は救われた
次の年の春、撫川の戸川肥後守安宣という殿様が
汗をかくお地蔵さまの噂を聞いた
その不思議なお地蔵さまを使って、勝手に水があふれ出る
「手洗い鉢」を作ろうと思いついた
村人の必死の抵抗むなしく、お地蔵さまは殿様の家来たちに
強奪され、首を切り落とし体をくりぬかれた
ご満悦の殿様は、この手洗い鉢を諸国の大名たちに
見せびらかそうと、千石船に乗せて江戸へ出発した
しかし殿様の乗った船は、玉島の港を出発し
遠州灘に差し掛かった辺りで、大波にのまれて沈んでしまった
首だけ残ったお地蔵さまは「首切り地蔵」と呼ばれ
後に殿様の子孫がお詫びのために設置した
「ことわり地蔵(身代わり地蔵)」とともに
ひっそりと村の暮らしを見守っている
※下記から引用しています
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=406
戸川肥後守安宣は実在するお殿様で、備中庭瀬藩の第3代藩主のようです
1674年に27歳の若さで死去、わずか6年間のお殿様ですが
六間川の開削工事をはじめとする農政に手腕を見せたそうです
さて、そのお地蔵さんはどこに?
事実かどうかは分かりませんが、ネット上ではここに限定されてるようです
わかります?庄パークの西の入口、T字路信号の角です
ちょっと様子を見て来たんですが・・・
夏草が生い茂り、ぱっと見ただけじゃぁわかりません
草をかき分けて少し進むと・・・
お地蔵さん、いらっしゃいました
軽装で行きましたから、これ以上は進めません
が、確かにお地蔵さんです
お地蔵さんのお顔は、風化してしまったのかはっきりわかりません
そして、明らかに顔と胴体のバランスが悪いです
もし、物語のように首だけ残されたのなら・・・
おそらく胴体は後付けされたもの、納得がいきます
その隣には・・・
こんなものも建ってました
これも奥まで入れないので、詳細は不明です
また今度、夏草が枯れた頃にでも行ってみましょうかね
「まんが日本昔ばなし」、岡山県内の話も少ない中
ここ庄を舞台にした話があっただなんて・・・
ちょっと自慢なので、記事にしてみました
(END)
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